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モデナの食卓 Da Stefano


硬派イタリア人ステファノの超シンプルレシピとモデナ+信州生活
by mimicarpi
mimiのプロフィ-ル
イタリア、モデナ近郊の田舎町カルピからイタリア人の夫ステファノと、息子のルイジを連れて日本へ移住してきました。現在、二つのアルプスに囲まれた南信州に中古住宅を購入、イタリア気分が楽しめる宿をはじめました。キッチン付き民泊Da Stefano。日本にいても家庭内はイタリア語、食事も毎食イタリアンです。

宿の予約はairbnbか下記のメールでどうぞ。
miwakokageko@gmail.com
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出産から退院まで

出産したのはつい昨日のような気もするけれど、実は6日も経ったんだと思い、忘れないうちにイタリアの病院での出産についてちょっと詳しく書いておこうと思う。

15日の深夜2時頃、陣痛らしき痛みで目が覚めた。でもとりあえず眠り続けることにした。が、6時過ぎ、痛みが尋常じゃなくひどくなってきたので、やっぱり陣痛だと思い、何分間隔か測ってみると10分間隔だった。
これは、と思いステファノには会社を休んでもらって8時頃入院準備して病院へ行った。
病院についた時点で、痛いときは歩けなく、床にしゃがみこんでやり過ごす程度の痛みだった。4階の産科まで自力で歩いて到着。すぐ診察してもらうと破水もなく、出血もなく、子宮口は指2本分しか開いていないから、出産は夜になるだろうから一度帰宅して様子を見るよう指示された。仕方がないので、帰宅し、ソファで眠っては陣痛に耐え、なんとか午後1時まで過ごした。
昼食をステファノが作ってくれると言ったけれど、もはや痛みで食べるどころではなく、シャワーが陣痛を和らげると聞いたのを思い出しシャワーを浴びた。
しかし痛みで服も着れず、バスタオルでのたうちまわる始末。しかもトイレへ行ったらかなり出血した。これ以上待ったら病院を歩いて移動できないと思い3時頃病院へ行った。
この時はすでに陣痛時は痛みで歩くことができず、叫ばずにはいられない状態。車椅子で奇声を発しながら4階へ。診察なしでいきなり分娩室に入れられ、出産開始となった。

この時、子宮口8センチ。陣痛のたびに助産婦さんのアドバイス通りのポーズをし、大声で「ああ-!」と叫ぶことを繰り返す。階段のステップに片足をかけては「あ-!」犬のように四つんばいになっては「あ-!」和式トイレにしゃがむポーズで「あ-!」
急激にいきむと切れてしまうのでゆっくり慎重に、助産婦さんが「いま頭がどこを通った」とかいう解説を聞きながらがんばること約2時間。赤ちゃんが早く下りるようにベッドのまわりをぐるぐる歩いたりしながら、ついに頭が出かかった状態に。
この時私は和式トイレスタイル。この2回くらい前のいきみの時、すでに出産時のために医師が呼ばれ、注射などの準備をしてスタンバイしていた。
そして陣痛にあわせて最後の「あ-!!」を3連続で叫ぶと、ルイジ誕生、しかも同時に破水。しゃがみこんだ足元に生暖かい水を感じながら産声を聞くと、ずっと手を握ってくれていたステファノも涙していた。
生まれた子供は産湯も使わず、すぐ私の胸へ抱く。しゃがみこんでいた床からベッドへ上り、ルイジを抱いた。そのまま初めての授乳。私の胸にルイジがいて、まだつながっている臍の緒をステファノが切った。

そうしている間にも医師が「胎盤が出るからもう一度いきんで」と言うので、いきむとすぐに胎盤が出てきた。そして腿に注射をされ、残念ながら最後に少しだけ裂けてしまった場所を縫った。この処置も痛いと聞いていたけれど、胸に吸い付いている赤ちゃんのせいかあまり痛みを感じなかった。

その後、医師や看護婦は私たちを残して退室。ステファノとルイジと水入らずで写真をとったり話したりして過ごした。
約1時間後、戻ってきた看護婦さんが産湯を使ってくれ、へその緒の処理やおむつ換えの方法を説明しつつルイジを専用のベビーベッドに寝かせてくれた。裸だった私もとりあえず寝巻きに着替え、立ちくらみがないことを確認してルイジのベッドを押しながら歩いて病室へ移動。
全ての荷物をステファノが運んでくれた。

病室は2人部屋でオムツ換えの台がついていて、出産後すぐに赤ちゃんのお世話を始める。
私は同室の女性が妊娠中毒症のダイエット患者だったので、オムツ台を独占できた。
出産から退院まで_d0140003_103169.jpg出産から退院まで_d0140003_16562.jpg











看護婦さんに「生まれたては6時間くらい眠り続けるからあなたも休みなさい」と言われ、ステファノに夜9時まで付き添ってもらって休んだ。

この後の3日ともそうだったが、夜の10時頃、赤ちゃんの検診が毎日あった。やった検査は糖の検査と黄疸チェックと股関節チェック、体重測定だったと思う。私の検査は毎朝10時頃、子宮と膣の回復、そして母乳チェックがあった。
それに加えて院長っぽいえらそうな医師が毎朝5人ほどのスタッフを連れてやってくるのだが、健康そうな私は何も言われず3日とも「おめでとう」と言われただけだった。
退院の日の朝はルイジのスクリ-ニングテスト(ボロ-ニャに送られる血液検査)があり、私の内診があり、その後ルイジの検診で問題がなかったのでLettera di dimissione del neonatoという書類を受け取り、2日後の検診の予約と、私への抗生剤とビデ使用時の石鹸が処方され、昼前に退院となった。

私の入院中、ステファノがルイジの出生届けを出し、小児科医を選び、子供の保険証を作ってくれた。イタリア側への手続きはほぼ完了。あとは私が日本側への出生届けをしないといけない。面倒くさいけれど、かわいいルイジのためにがんばらないと。
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by mimicarpi | 2008-12-21 01:48 | 妊娠
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