モデナの食卓 Da Stefano |
mimiのプロフィ-ル
イタリア、モデナ近郊の田舎町カルピからイタリア人の夫ステファノと、息子のルイジを連れて日本へ移住してきました。現在、二つのアルプスに囲まれた南信州に中古住宅を購入、イタリア気分が楽しめる宿をはじめました。キッチン付き民泊Da Stefano。日本にいても家庭内はイタリア語、食事も毎食イタリアンです。
宿の予約はairbnbか下記のメールでどうぞ。 miwakokageko@gmail.com カテゴリ
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先週はステファノの会社がどんどんリストラをすすめていて、ひどい状況だったらしく、ステファノは家に帰ってくるたびに「きっともうすぐ会社は閉鎖になるからそうなる前に辞めて退職金をもらわないと給与支払いすらあやしくなるだろう」とか「なんだかわからないけれど、自分の中の何かが日本へ行けと言っているのを感じる」とか言うので、私は日々日本移住計画について考えていた。
ステファノは日本語ができないけれど、日本生活には自信があるようで、「小さな土地があれば野菜とフル-ツを育てて、冬はシ-ズンオフだからイタリアでバカンツァ」という夢のような計画をしてくれた。 が、東京生まれの私が田舎で子供とイタリア人夫を連れて畑や家を借り、できれば保育園を探してパ-トに出るのは大変なことだし、あまり現実的じゃない、、リスクが高すぎる。 で、考えたのがステファノを農業法人へ就職させる方法。例えば自営農園で葡萄を収穫し、ワインを作っているようなところへ押し込んで私は今まで通りあと1年は子育て。こうすれば定収入は入るし、借家も探しやすいし、(就職していれば)何より農地を借りて苗や種から育てて気候の違いで大失敗するリスクは避けられ、しかも日本の農業法について学べる。 だけど、ステファノは日本語がしゃべれない、、よって非常に難しい、、 それから考えたのが移住候補地の長野県がやっている里親制度。 まず作りたい作物を決めて、その専門の農家の元に1年ほど弟子入りして方法を学びその後里親や市や県のバックアップで独立用の農地を探し、独立する方法。 外国人と東京モノの夫婦でもこうすれば簡単に農地を借りることができそうだし、学んだ後なら失敗も少なそう。 夫婦での弟子入りも可能なんだけど、ウチの場合ルイジが問題、、 もしステファノが日本語ができれば悪天候の場合はステファノ一人で作業すればいいだろうけど、私がいつも通訳するとしたら、ルイジはおんぶ?とか考えると、、、、ちょっと厳しそう、、 それから考えたのが私が長野か山梨のホテルに就職し、(私は結婚前の仕事はホテル業や観光業なので中国語、英語、イタリア語ができるとホテルか温泉に売り込んで営業かフロントに就職する)ステファノにルイジを見てもらう方法。 でも日本に生活するならできればお父さんにも働いてほしいもんなあ、、 一番簡単なのは実家の荻窪近郊に逆移住し、まずはステファノを日本語学校へ行かせてルイジは母に預けて私が働く方法。まあ母に預けなくてもステファノが学校へ行く間私がルイジといて、ステファノが戻ったらステファノにルイジを預けて私がバイトに行ってもいい。当座の生活資金はあることだし。 でステファノも日本語ができればなにかしら職はあるんじゃないかと。(近所のフランス惣菜屋の売り子とか?イタリア料理店でカメリエーレとか、いっそバイクでピザの宅配とか?) これが一番ラクな移住方法。荻窪なら土地勘もあるし、ルイジの病院も保育園も勝手がわかるし。東京には友達もいっぱいいるし、何より母もいる。 しかし短期間ならともかく長期間東京にいたらステファノは適応できずに病気になりそうだ、、 まあ、そんな風に考えながらステファノに「どうする?どうする?」と詰め寄っていたら、夢見がちなカレは現実的な意見に疲れたらしく、「君は考えすぎなんだよ。ちょっと土地があれば野菜作って売れるって」とかしか意見を言わないので、「じゃあ、何の野菜を作りたいの?それによって移住候補地もかわるのよ」とかさらに詰め寄っていったら、、流石にイヤな顔をして 「そりゃ僕だって今のイヤな会社を自分を誤魔化しながら続けたほうがラクなんだよ。今のままで生活に問題はないんだし。でも君のお母さんが年をとった時に近くに住んだほうが何かといいでしょ?ルイジの学校が始まる前に決めないと中学から日本に移住とかじゃかわいそうじゃないか、、」と言い出した。 「それに日本へ行くなら本当に残念なことはイタリアの年金が受け取れないことだ。もう30年以上払い続けたのに、、60歳まで働き続けないともらえないなんて、年金があれば日本でお金の心配もせずに年金と野菜の売上金で生活できるよ。」とちょっと怒りながら続けた。 ステファノは中学卒業で働き出し、機械エンジニアの資格は夜間の学校で取得しているので年金をもう33年も払っているのだから、今仕事を中断して日本に渡っても60歳以後、少しは受給できる気もするんだけど、、イタリアの年金制度はよく知らないので、よく確認するように言った。 年金の話をしながら「このままイタリアに住み続け、日本には別荘を購入し、夏休みの3ヶ月は日本の荻窪の実家に私がルイジを連れて帰り、私の母校双百合幼稚園や荻窪小学校に体験入学とかさせ、ステファノは2.3週間の休みで日本へ来て、その休みは全て山の上の別荘ですごす」プランを考え、「それも悪くないよね、、ふふふ」と急に気持ちが変わったようだった。 そうしておけば年金が出た時すぐ購入済みの別送で生活が始められるし、もし毎年2.3週間滞在していたらルイジにも固定の友達ができるかもしれないし、、 もし日本で就職したら、日本企業は休みが少ないからイタリアへ帰国するにも多分1週間だけとか短期間になるってことも結構問題だ。しかも共働きならさらに休みをあわせにくいし、、 とか話していたら少し日本移住熱が収まってきたようだった。 でももし本当に会社が潰れたらまた日本で野菜栽培を夢見るんだろうなあ、、ステファノ。 子育て環境を考えても、どちらに住んだほうがいいか本当に悩むところだ。 ブログランキング参加中。クリックよろしくお願いします。→ 人気ブログランキングへ
by mimicarpi
| 2009-11-02 18:19
| 日本移住
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